羽越ウォーク ~After Mikuni~ 11. 小砂川駅〜仁賀保駅
2021年10月16日(土)
国道7号
距離: 22.5km
経路: 羽越ウォーク ~After Mikuni~ 11. 小砂川駅〜仁賀保駅 - Google マイマップ
この日から2日連続で歩き、秋田県を北上しました。
ちなみに東京を出発したのはこの前の日(15日)で、酒田に前泊しました。10月14日が鉄道の日ということで、JR線の普通列車が3日間乗り放題の「秋の乗り放題パス」が発売されていたので、東京から酒田まで普通列車でゆっくり移動しました。
それでは、スタートです。
小砂川駅から少し歩いたところで鳥海山方面を撮影。この日は天気が悪く、山頂の方は見えませんでした。
駅から800m進むと国道7号に合流。2車線で信号の疎らな道が続きます。
上浜駅の少し手前の丁字路にこんな案内板がありました。「羽後A線」「羽後B線」「庄内北線」は鉄道やバスの路線名ではなく、送電線の名前です。
ここが国道7号の新潟から200km地点ですが……
印がこれしか見当たりませんでした。ガードレールに白いチョークのようなもので数字が書かれているだけです。
ちなみに、他の地点にはこんな感じでちゃんとしたキロポストがありました。全部確認したわけではないですが、概ね100m毎に立っています。
(上: 203km地点、下: 203.1km地点)
普通の2車線道路を流用したような作りの駐車帯。
(203km地点より手前にあります)
信号の横の標識に「有耶無耶の関」と書かれています。有耶無耶の関には、手長足長という怪物がいるときは「ウヤ」(有耶)、いないときは「ムヤ」(無耶)と鳴いた3本足のカラスの伝説があります。手長足長は旅人を襲って食べていた怪物なので、これがいるかいないかが分かる鳴き声は旅人の役に立っていたらしいです。
なお、有耶無耶の関はこの辺りにあったという説のほか、前回通った峠の三崎峠にあったという説もあります。
市役所入口交差点を右折し、踏切を渡った先で左折。住宅地を抜けて、象潟と呼ばれる一帯に出ました。
象潟ではまず能因島に登りました。現在は小山のような場所ですが、1804年の象潟地震までは潟湖に浮かぶ島だったので、「島」と呼ばれています。
象潟には数多くの「島」があり、九十九島と呼ばれています。田んぼの中に点在する、木々が生えていて盛り上がっている場所が島です。
(花見島より撮影)
蚶満寺山門。象潟地震の後の新田開発で象潟の島々は崩されそうになりましたが、蚶満寺24世覚林和尚の努力により島々、ひいては象潟の景観が守られたことが伝えられています。
(花見島より手前にあります)
蚶満寺山門の近くに松尾芭蕉像があります。象潟は『おくのほそ道』最北の地です。
蚶満寺の側の踏切を渡って道の駅象潟「ねむの丘」へ。レストラン眺海で「秋田由利牛牛すじカレーうどん」を食べた後、最上階の展望塔に行きました。
東側の展望。家々の後ろに広がっているのが象潟です。
このときは雲に隠れていましたが、天気の良い日はこの写真より少し右の方角に鳥海山も見えます。また、反対の西側には日本海が広がっています。
展望塔から下りたら踏切を渡って蚶満寺に戻り、そこから象潟を再び北上しました。
線路際の道に「JR東日本「大人の休日倶楽部」 撮影スポット」の目印があったので、
電車を撮りましたが、
後日調べてみるとこちらの駒留島のことだったようです。
「島めぐりコース」の道標に従って進み、
最後に花見島を訪れました。この木道は東北デスティネーションキャンペーンに伴って設置されたらしいです。
花見島の近くを通る2車線の道に上がって象潟を後にしました。踏切を渡って国道7号を北上。金浦物産センター(漁協直売所)の先の分岐は左に進み、国道7号から外れました。
金浦駅の近くを通過。
小池菓子舗で鳥海山麓窯出しシューを購入。たこ焼きシュークリームという面白いお菓子もありました。
窯出しシューは勢至公園で食べました。皮がサクッとしていて美味しかったです。
勢至公園で休憩した後、白瀬南極探検隊記念館を見学しました。南極探検の歴史や、1910〜1912年の南極探検で探検隊長を務めた白瀬矗の生涯についての展示があります。オーロラドームではオーロラや南極の映像を見ることができるのですが、氷山についてよく知らなかったのでその映像を見たときは意外な形をしていると思いました。
田んぼの中の道を進んで芹田交差点を右折。国道7号をしばらく進んで平森交差点で再び右折し、仁賀保駅に向かいました。
もう日が暮れてしまいましたが、ここまで来たら仁賀保駅まであと少しです。
仁賀保駅がこの日のゴール。続きは翌日に歩きました。