関越ウォーク 街道ルート まとめ
街道ルート(五反田〜寺泊)のまとめです。
ルートはこちらのリンクから。茶色の線です。距離は合計345.0kmになりました。
以下は記事へのリンクと簡単な説明です。
高校〜大学時代に都内を散歩する中で歩いた道です。当時は街道ルートというのは意識していませんでした。
学部4年生になった2015年、動画サイトで国道17号の車載動画を見て興味が湧いたので自分も辿ってみました。
2020年に街道ルートを完成させるために歩きました。大部分は中山道を辿りました。
ここは2015年に歩きました。本郷〜鴻巣駅間と同様に国道17号を辿りました。
2016年、三国街道を全線踏破しました。
街道ルートは以上です。日本海に到達したのでこの先を歩くことはないと思っていましたが……
(2022-06-16)
追記: 旧街道の経路はインターネットで軽く調査したもので、その正確性について検証は行っていません。
関越ウォーク 街道ルート 21. 地蔵堂〜寺泊
2016年12月2日(金)
三国街道
距離: 10.6km
経路: 関越ウォーク 街道ルート 21. 地蔵堂〜寺泊 - Google マイマップ
三国街道、そして関越ウォークの最終回です。ウォーキング自体もそうだけど、記事を書いていてもここまで長かった。
東京で新幹線に乗り、長岡で在来線に乗り換えて分水へ。駅を出たら新潟側にある踏切を渡ります。しばらく西に向かいますが、県道68号には出ずにその少し手前から北上。分水中学校の西側を通り過ぎたら左折し、特別養護老人ホーム分水の里の裏側を通ります。県道68号に出たら右折。そこからしばらくは道なりに進みます。
中島の集落を通過。この辺りが関中島宿でした。
竹ヶ花バス停付近の丁字路を右折。大河津分水路の堤防を左に見ながら進み、石港交差点を左折します。
渡部交差点も左折。大河津分水路を渡ります。
その先の丁字路は右折。県道2号を進みます。
道が左にカーブし、大河津分水路から離れると、渡部の集落に入ります。渡部にも宿場がありました。
渡部を過ぎると丘に登ります。上り坂の途中の丁字路は左へ。その後も少し上りますが、やがて下り坂になり、寺泊の町に入っていきます。
寺泊は港町。ついに日本海が見えてきました。
国道402号。寺泊の町を2kmほど進み、寺泊港入口交差点付近で撮りました。
その近くの佐渡汽船のりばを三国街道歩きのゴールとしました。運航のない日でしたが、所用でいらしていた方に記念写真を撮っていただけました。さらに、寺泊駅まで車に乗せていただけることになりました。
関越ウォークの終点もここ寺泊。神奈川県の実家から日本海までがひとつながりになりました。感慨に耽っていると、車が出発。寺泊の町はあっという間に丘の向こう側になりました。
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おまけ:
三国街道は金山のある佐渡と幕府のある江戸を結ぶ街道としても重要視されていました。というわけで、寺泊まで歩いた翌日と翌々日は三国街道歩きの締めとして佐渡を観光しました。
佐渡金山。坑道の中に入ることができます。金の採掘に関する様々な場面が動く人形で再現されていて面白かったです。
お次は佐渡奉行所跡。御役所は畳が敷き詰められた部屋が広がっていて少し単調に感じましたが、何となくほっとしました。勝場(金や銀を選鉱する工場)は水が流れていて綺麗でした。
佐渡西三川ゴールドパークです。砂金採り体験をしました。難しかったですが、金が採れたときは嬉しかったです。
他には、力屋観光汽船でたらい舟に乗ったり、トキの森公園でトキを観察したりもしました。充実した佐渡観光でした。
関越ウォーク 街道ルート 20. 蔵王橋東詰〜与板〜地蔵堂
2016年10月31日(月)
三国街道
距離: 22.4km
経路: 関越ウォーク 街道ルート 20. 蔵王橋東詰〜与板〜地蔵堂 - Google マイマップ
ホテルをチェックアウトし、長岡駅から越後交通バスで蔵王橋東詰へ。この日はここから歩きました。
蔵王橋で信濃川を渡り、蔵王橋西詰交差点を右折。ここから1.6kmは県道473号に沿って進みました。県道473号が左に直角カーブを描いているところで信濃川の堤防へ。堤防の上の道を進み、北陸自動車道を潜り、川袋バス停付近で県道22号に出ました。
李崎上口バス停の少し先で左折し、集落の中の細い道を進みます。
上の写真を撮ってから700m進みました。この辺りは民家が連なっています。
蔦都の案内板です。この地を開拓した蔦都坊の略歴などが書かれています。
蔦都交差点を右折すると民家が途切れ、田んぼの中を進みます。
県道22号に出たら左折。星殿橋西詰交差点は右折です。この辺りから建物が増え、与板の町に入っていきます。
橘橋西詰交差点を左折した先にある三国街道の道標です。与板地域にはこのような道標が多く立っています。
中町交差点を右折し、国道403号の雁木通りを進みます。この先に枡形(クランク)が2箇所。与板は城下町であり宿場町でもあります。
稲荷町交差点を左折し、与板警察署を通り過ぎると下与板の案内板があります。1975年まで与板を通っていた越後交通長岡線のことが書かれています。
志保の里荘付近で右折し、県道274号を離れます。その先は丘陵を左に見ながら北上。右からは信濃川の堤防を走る県道22号が近づいてきます。
岩方の案内板など。岩方にはホタルがいるらしいです。
町軽井の集落の先で県道22号に出ました。たぬき注意。
堤防道路を進み、国道116号に出たら右折。大河津分水路を渡ります。
大河津分水路。信濃川から日本海までをショートカットし、越後平野を水害から守っています。江戸時代から建設の請願はありましたが、本格的な工事が始まったのは1909年、完成したのは1931年です。
分水新町交差点を左折し、願王閣の前で右折。この願王閣の門前町として開けたのが地蔵堂で、三国街道の宿場もありました。
地蔵堂は赤みがかった道が印象的でした。消雪パイプから水に混じって出る鉄分が路面に残ってこのような色になるらしいです。
この日のゴールは分水駅。普通列車で長岡まで戻り、そこからは新幹線で帰りました。
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おまけ:
分水駅で買った帰りの切符です。柏崎を通らない経路にしたはずなのに「経由:柏崎・……」と書かれていて驚きました。係員によると柏崎は越後線と解釈するらしいです。